眠れないなら好きなことで気分転換しよう

眠れないときはには気分転換

眠れないときはには気分転換すると良いといいます。

しかし、気分転換といってもどんなものが良い気分転換なのでしょうか。

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眠るための気分転換

テニスをして気分転換

人間の体は不要な力が入っていなければ水に浮いていられます。ところが沈んでしまうのが怖いからつい体に力が入るのです。

沈む不安と恐怖がない人は、水の中で上を向いてポカーンと浮いています。まさにリラックスしています。

体に力を入れるのは簡単だけれども、体から不必要な力を抜くのは難しい。心の場合には、不必要な力を抜くのはもっと難しい。いつも体に力が入っています。浮こう浮こうと必死になっても水の中で沈んでしまいます。

それが眠れない人の眠れぬ夜の心理状態です。身体と水との関係はちょうど心と睡眠との関係にも当てはまります。

不要な力を抜く

力を抜いてほっとしようとするのだけれどもなかなか「ほっ」と出来ません。寝よう、寝ようと頑張って寝られない人の心に力が入っているのと同じです。

心に不要な力が入っていなければ自然と寝られます。ベッドに入ってから、寝ようとしながらも心からも体からも力が抜けません。

そこで眠れぬ時によく気分転換と言われます。そこで言われるのが眠ることから注意をそらすことです。例えば数珠です。数珠を繰ることで指が占拠されるだけでなく、心も占拠されるからです。

その他に気分転換として例えば眠れぬ時に「音楽をかけたら」というようなことを言う人もいます。残念ながら、それでは本質的なことは何も解決しません。この様なことでは不眠の心理的問題は解決しません。

好きなことで気分転換

好きなことをするのが最良の気分転換です。テニスをして気分転換する人がいれば、天文学を学んで気分転換する人もいるでしょう。

時には、顔の表情を変えるだけで、気分を変えることができるといいます。

気分転換が悪いわけではないが、気分転換で何とか眠れるようにしようというのは、眠れぬ原因を取り除くことではありません。

一過性の不眠症ならよいですが、そうでないときには気分転換がそれほど有効とは思いません。とにかく寝られないときには、体が寝られないと言っているのです。それは神様が眠るなと言っている様なものです。

その原因を突き止めることが先です。眠れないという症状はあくまでも背後にある問題の象徴です。

うつ病と眠れない心理

うつ病と眠れない心理

不眠症の本には色々と書いています。眠れない時は、まず気分転換を図ることです。運動をすること、元気な人と付き合うこと、早寝早起きを実行するなどです。毎日の生活をきちんきちんとしていれば自然と抑鬱的な気分が取れて、くよくよしない傾向の方が強くなります。

これらのことを否定する気持ちは全くありません。ただ、ことさら気分転換をしなくても良いのです。

そもそも気分転換が出来る人ということはエネルギーがある人ということです。つまり気分転換そのものにエネルギーがいます。気分転換出来る人はエネルギッシュな人です。

気分転換のためエネルギー

つまり気分転換ができる人なら、眠れないという様なことはあまりないはずです。眼れない時に気分転換しなさいと言うのは、うつ病になる様な人に「趣味を持ちなさい」と言うのと同じです。もともと趣味が持てる様な人であればうつ病にはなりません。

うつ病の病前性格と言われる執着性格者等は趣味は持てないし、すでに消耗しています。だから気分転換のためのエネルギーがありません。

エネルギーがなくなれば、悔しいことに心が調整されます。悔しいことがあればベッドに横になっても眠れません。

あるいはよく「捨てろ」ということが言われます。無の心境になれば眠れるといいます。うつ病にもならないといいます。うつ病者はものを捨てられないというのはうつ病者の生命力が落ちているからです。

人はエネルギーがあればどんどん捨てて前に進めます。しかしエネルギーがなくなれば過去に執着して前に進めません。

エネルギーがない人に「過去に執着するな」と言っても意味がありません。エネルギーがあれば「過去に執着しろ」と言っても執着しません。

いろいろなアドバイスは不幸な人に「幸福になれ」と言って居るようなもので、実際にはなんの意味もありません。

嫌いなことは気分転換にならない

嫌いなことは気分転換

嫌いなことは気分転換になりません。「音楽をかけたら」というようなことも、音楽を聴くのが好きな人の場合にのみ気分転換になります。あくまでも好きなことが気分転換です。

ある大学受験生は、ストレスで眠れなくなりました。ところがある人が「とにかく何処でも良いから入学すればよい」と指導しました。

「入学してから勉強したらいいのではないか」と指導しました。それを聞いたら彼は気が楽になりました。そこからストレスがとれて彼はペラペラ話し出しました。

彼は物理が好きだけれども受験が嫌だった。彼は「天文学がやりたい。物理をやりたい」
と思っていたのです。

ところが父親は「テニスをして気分転換したろう」と受験勉強中の彼にいう。しかし彼はテニスをして逆に「辛かった」のです。父親はやりたくないことを彼にやらせていることに気がついていません。

母親は、「息子は不安な顔をしている」と言います。「食器を洗っているときには不満な顔をしていた」と言います。「彼は、昨夜食器を洗ったことを忘れている」と言います。そう言って母親は泣きました。

自分に気が付くことが最良の気分転換

最良の気分転換

遊びを最も必要としている人々は、不幸な人たちであるようです。『人生のささやかな喜び』が幸福な人のよりどころであるのと全く同様に、遊びは不幸な人の頼みの綱です。遊びは気分転換の役目を果たし、悲惨な、あるいは厄介な、あるいはうんざりするような考えごとから人の気をそらせてくれます。幸福な人間はそのような気晴らしは必要としません。

ところで受験勉強中の彼は、「大学に入学してから勉強したらいいのではないか」という指導で、なぜリラックスしたのか。なぜこの指導が成功したのでしょうか?

それは彼の「物理学をやりたい」という目的が彼の内側から出て来た目的だからです。もし「物理学をやりたい」という目的が彼の外側から、例えば親から与えられたものであれば、この指導は成功しません。

外側から与えられた目的の場合には「〇〇大学の物理学科に入る」という目的になるからです。外側から与えられた目的の場合には、すでに述べた様に目的の調整がききません。

つまり自分の適性や能力に適した目的を持てません。そこで多くの人は挫折します。

実は自分に気が付くことが最良の気分転換です。

気分転換が大切、気分転換が大切と言いますが、自己分析をしないで気分転換、気分転換とだけ言うと、時には「お酒を飲むことが気分転換」になってしまいます。

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