「眠らなきゃ!」と焦れば焦るほど眠れない理由と対処法

焦れば焦るほど眠れない

ベッドに入って、眠ろうと焦れば焦るほど眠れないものです。

例えば、犬が立ち止まっているときに、左に引っ張ると、犬はそこに立ち止まり続けようと、右に行く力を働かせます。左に引っ張れば引っ張るほど右方向に力を入れます。

平衡しているものにある圧力を加えると反対の方向の力が働くという「ルシャトリエの法則」といいます。

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焦れば焦るほど眠れない

この「ルシャトリエの法則」は睡眠も同じです。

寝ようとすればするほど眠らない力が働く。心理学者のフランクルが言う「過剰なる意図」です。寝ようとする願望が強すぎると眠れません。

眠ろうとしなければ、眠れます。しかし寝ようとするのはやさしいですが、寝ようとしないのは難しい。

ベッドに入ったらすぐに寝付こうというのは、睡眠への執着です。

いつも不安な緊張をしている人、安心感がない人は、眠れなくて、自分は不眠症だと悩みます。そういう人は、「どうしてオレはこれくらいのことで眠れなくなるのだ」と眠れない自分を治そうとします。

寝なければ寝なければ、と思うと、逆に何時までも起きています。そして苛立つ。

小さな子どもで考えます。友達がいなければ「一人で玩具で遊べばいいや」、そう子どもが思うと結果として友達ができます。

大人でも、友達が欲しくて周囲に迎合すると、本当の友達は出来ません。迎合する人は自分の世界を持っていません。だから相手にとっても面白くありません。

不眠に隠れているもの

睡眠にしろ、友達にしろ、人が道を間違えるのは深刻な孤独感にたいする対処です。

不眠の夜に、自分の心の底をじっと考えてみることです。自分は自分の無意識の領域に何か問題を抱えているのではないでしょうか。自分が目を背けている感情があるのではないでしょうか。そう考えてみます。

例えば何かを怖れています。その怖れているものから目を背けています。「こうなったらどうしよう」と怖れています。

いくら目を背けても自分の無意識は知っています。その無意識にある感情がその人を眠らせないのです。

だから寝たいと思えば、まず自分は何かを自分に隠していると考えることです。そこから全ては始まります。そのことを認めないから眠れないのです。

焦りの奥にある意識を認める

焦りの奥にある意識

全く思い当たらない場合もあるが、「自分は何を自分に隠しているのだろうか?」と自分に問いただしてみれば、「そういえば、うすうす以前からそう思っていた」というようなことが見つかるでしょう。

それを認めることです。もちろんそれはそう簡単にいきません。もともと怖れているから隠したのであって、怖れていなければ隠さないのだから、そう簡単にはいきません。「こうなったらどうしよう」と怖れるのは、そうなったらどう対処して良いか分からないからです。そうなったらもうどうしようもないと感じています。だから感じないことにしてしまったのです。

感じないことにしても無意識の領域では感じています。だから眠れないのです。あるいは寝ても眠りが浅いのです。

焦りで眠れない

刻々とその恐怖の時期は近づいてきます。「あ、どうしよう、どうしようもない」という恐怖の叫びが無意識の領域で上がっています。

どんなに今の時期が楽しくても、無意識の領域にはその恐怖があります。その楽しい一瞬の間は、意識的にはその恐怖を忘れているかもしれません。しかし体は忘れていません。だから眠れないのです。

夜は眠れないし、昼は焦っています。意識の上ではなぜ焦るのか分かりません。しかし焦ることはどうしても止まりません。

歩いていても焦る。仕事をしていて焦る。食事をしていても焦る。休んでいても焦っています。そして眠れない。

いくら考えても、焦る理由は見つからないのに焦っています。

それは無意識の領域では「はやくどうにかしなければ」と思っているからです。

眠れない場合は解釈を変えてみる

眠れない場合

こうあらねばならないという意識が強すぎる人がいます。疲れているとはやく疲れを取らねばならないと思います。そして熟睡しなければならないと焦ります。

そして熟睡しようと意識して努力します。熟睡しようと懸命になります。

「あー今日は疲れたなー」とぼーっとしていられません。いつも懸命なのです。疲れを取ろうとして、懸命になることで疲れは取れません。

疲れ易い人の中にはこのように「こうあらねばならない」という意識の強すぎる人が多いです。経験が自然に流れて行きません。いつも無理があります。いつも肩に力が入ってしまいます。いつも何かに追われているのです。

肩から力を抜こうと意識的に努力してみても肩に力が入ります。心の底に不安がある限り、意識して肩から力を抜こうとしても肩に力は入ります。

いつも来るべき不安な何かに備えているのです。その恐怖に対して、無意識に身体は準備しているのです。

何か自分に対して辛いことが起きるに違いないと感じ、それに対して準備をしています。だから休んでいられないのです。その日に備えて準備をしなければなりません。何時も恐怖に対して身構えています。

眠れない原因の焦りや恐怖感があると認める

ではどうするのでしょうか。先ず自分には焦りや恐怖感があると認めて、解釈を変えることです。

その恐怖を乗り越えることが自分の人生なのです。ただ怖れるのではなく、「これを乗り越えよ!」と神が言っていると解釈すればいい。

人生の試練は終わるものではありません。生きている限り試練は続く。棺桶のふたが閉まるまで試練は続く。

生きることは乗り越えることです。人生は試練の連続。終わる事なき試練が人生。人生はまさしく「ネバーエンティングストーリー」です。

自分は犬に生まれてきたのでも、ラィオンに生まれてきたのでもありません。人間に生まれてきました。だから人間の宿命を生きる以外に道はありません。

試練は自分を鍛える

「苦しみは嫌だ、嫌だ」と言っていても試練の時は来ます。夏が過ぎれば秋が来るように試練は来ます。昼が終われば夜が来るように試練は来ます。試練があるということは、自分がまだ生きることを諦めていないという証拠です。それはある意味ではまだ元気ということです。

もうどうでもいいと自暴自棄になれば、試練は終わっています。無気力になれば、試練は終わっています。それは試練から見捨てられているということです。それは神から見捨てられているということです。

試練で自分は鍛えられます。試練で自分は磨かれます。試練のない人生は生き甲斐のない人生。意味のない人生。自分の人生に意味を与えるのは試練。そのように恐怖の解釈を変えて納得できればそれでよいでしょう。

本当に納得できたか出来ないかは眠れるか眠れないかでわかります。変えた解釈で納得できなければ、「私の人生は不幸」と覚悟をすることです。覚悟は恐怖を和らげます。

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