几帳面で抑うつ気質な人ほど不眠症になる

抑うつ気質の人は几帳面

抑うつ気質の人は、仕事をし残すことが出来ません。

やり残した仕事がどれだけ心の負担になるかは人によってかなり違います。抑うつ気質の人はやり残した仕事が片時も心を離れません。

そのことがあいまって眠れなくなり、不眠症になるのです。

睡眠薬を飲む前に500円でお試し!

抑うつ気質の人は几帳面

ドイツの精神病理学者テレンバッハは抑うつ気質の人は沢山の仕事をしようとすると言います。

まさにその通りですが、心理的に言えば「沢山の仕事をしようとする」ということより、「仕事をし残すことが出来ない」と解釈したほうがいいのではないでしょうか。

ほんの少し仕事をし残しても気になって夜も眠れない。ところが仕事は次から次へと出て来る。世間一般に言えば仕事というものはそう区切りがあるものではありません。どこまでしても切りがないというところがあります。

そうなると、いつもいつも気になって気が休まるときがなくなります。テレンバッハも抑うつ気質の人は几帳面でありかつ自分の仕事に対する過度に高い要求水準を持つと書いています。

過度に高い要求水準をもつということの問題は、それを実現しないと気になってしかたないということです。
 
 可能と思われるものの限界内では、与えられている可能性がいかにわずかなものであろうとも、自己の仕事に対する要求水準はつねに高いといいます。

そしてこの水準を満たすときにのみ安心するといいます。しかしこの水準を達成することは大変なことです。そして何よりこの様な高い水準を達成したときにのみ心安らかであるとすれば、この人は殆ど心安らかなときはありません。

抑うつ気質と不眠症

抑うつ気質と不眠症

やりはじめた仕事が十分にきちんと仕上げられなかったことに「自分自身納得が行かない」からという理由で、はじめからもう一度やりなおす抑うつ型の人もいるといいます。

この様な人が会社で「きちんと」仕事を仕上げられないまま家に帰ったことを想像してみましょう。その人は家でくつろげるでしょうか。家に帰っても会社でやり残した仕事が、気になって気になって夜もなかなか眠ることすら出来ないのではないでしょうか。

この人が夜中目をさませばやり残した仕事が気になって気になってそれっきり朝まで眠れないのではないでしょうか。

寝不足で会社に行く。するとどうなるか。寝不足で調子が悪いわけだから、いよいよ仕事を仕上げることに焦ることになります。そして焦れば焦るほど仕事はうまく行きません。

「何事もきちんと、正確にしないと気が済まない」気質にしてみればいよいよ焦ります。寝不足で調子が悪いことを他の誰よりも許さないのは几帳面な彼ら自身なのです。

寝不足を許せない

誰よりも寝不足になりがちな彼らが誰よりも寝不足を許せません。誰よりも寝不足を恐れる彼らが誰よりも寝不足になります。

夜になってもまだやり残しの仕事が残ってしまったような場合、そのようなことは、やむをえない理由でもなければ、その不快感も特徴的です。

それは後からでもかならず片づけてしまいます。そのまま忘れてしまうようなことはけっしてありません。その日の仕事は夜にはかならずけりがつけられ、万事がきちんと片付けられると考えます。

しかし現実にはこのように万事がきちんとけりをつけられないで寝なければならないということもあるでしょう。

現実にし残した仕事が毎日出て来ます。

このときにそれを忘れてぐっすりと眠れる人もいれば、いま述べている抑うつ気質的な人のようにそれ故に朝まで眠れない人もいます。

まさに同じ事が性格の違いによって全く異なる心理的負担になります。

ある人にとって何でもないことでその場を離れれば忘れてしまうことでも、別の人にとってはその場を離れても頭からそのことが離れなくて、ほかの事が手につかないということはあります。

仕事が思うようにはかどってもはかどらなくてもぐっすり眠れる人と、思うように仕事が行かないと、そのまま眠れなかったり、夜中に眼が覚めてそのまま気になって朝まで眠れなかったりする人がいます。

仕事が思うようにはかどったときにだけ眠れるというような人は、現実には睡眠不足になるでしょう。そしてその様に睡眠不足になる人は悪循環に陥って行くのです。

「眠らないと」と思えば思うほど眠れない

「眠らないと」と思えば思うほど眠れない

他方、大きな仕事量をこなしているにもかかわらず、十分に仕事をしなかったという感じを絶えずもちつづけているような人もいます。

こういう人は仕事を「しても、しても」し残している感じがする人です。つまりいつもくつろぐことが出来ません。いつもストレスを感じています。いつも「もっと仕事をしなければ」とストレスを感じています。

仕事を人よりしているのに、いつもし残した気がして、心の負担を感じ、これではいけないと不安な緊張をします。

そこで夜になれば「はやくすぐにぐっすりと寝て、明日の朝はすっきりと眼をさまして、それでもっと能率よく仕事をしなければ」と焦ります。そんな焦りの中でベッドにはいれば寝られるわけがありません。そこでさらに焦るという悪循環に陥って行きます。

ぐっすり寝る事がそれほど重要でなければ「ぐっすり寝られないから」といってそんなに焦ることはありません。しかし「ぐっすりと寝れること」が重要であればあるほどぐっすり寝られないことで苦しみ悩みます。

つまり寝れないことを苦しむ人ほど寝れないという悲劇が起こります。明日の仕事がうまく行くことをそれほど気にしない人は寝れなくてもそれほど「どうしよう、どうしよう、大変だ、大変だ」と苦しみ悩みません。寝れないことをそれほど苦にしない人は逆によく寝れるのです。

抑うつ気質の人でなくても、心が不安な緊張をしていれば、夜には抑うつ気質の人と同じ様に、なかなか寝つけません。ベッドに入ってから、寝ようとしながらも体から力が抜けません。

そうなれば夜が来るのが怖い。夜が安らぎの時になりません。

そういう人は仕事依存症の人と同じように、常に自分が価値ある存在であることを証明し続けようと努力しています。それが「熟睡しなければ」という焦りになっています。

強すぎる願望

あまりにも、寝よう寝ようとするから、かえって眠れません。そのことを心理学者のフランクルは「強すぎる願望」と言っていますが、そのフランクルの言う「強すぎる願望」は依存症の人の願望でしょう。

つまり「強すぎる願望」とは強迫的傾向のある願望のことです。そう願うまいとするけどそう顋ってしまいます。眠ろうと思うまいとするけど、眠ろうと思ってしまいます。

眠るためには強迫性を解消しなければならないが、それは容易なことではありません。

強迫性は不安と関連しているから、不安の解消という根本的な問題に突き当たってしまいます。重要なのは「過剰なる意図」の裏には不安と欲があるということです。

だから意図が過剰になるのです。第一次的な欲求としての意図は過剰にはなりません。

働いて成果を上げて不安を解消したいというのが根本的な願いです。

熟睡するとよく働けます。すると成果を上げて誇れます。だから熟睡しなければならないのです。熟睡は第一次的な欲求ではありません。

睡眠薬を飲む前に500円でお試し!

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする