眠れないのは、若い頃から自己実現してこなかったことの「つけ」が原因の場合もあります。
ベランウルフの言葉「悩みは昨日の出来事ではない」の通り自分は何年もかけて眠れぬ人間になったのです。
逆に言えば熟睡は自己実現の結果です。
だからといって全ての人が自己実現しながら生きていられる様な恵まれた人間環境で成長してきているわけではありません。
不眠の原因に無意識の問題
信頼する人が側にいれば安心して眠れます。逆に基本的不安があると眠れません。誰だって敵陣の中にいれば眠れません。
基本的不安感があると、安心を得たいということが最優先するから、私たちは生きる道を問違えます。例えば不安な人はひたすら力を求めて努力します。その結果、自己疎外に陥ります。
つまり基本的不安があると自己疎外されているから眠れないというのは当たり前です。
眠れないことは苦しい。本人は眠ろうとしています。でも眠れません。
それは眠れない人が無意識に問題を抱えているのが原因です。おそらく無意識に恐怖と孤独を抱えているのです。
その恐怖と孤独がその人を寝かせません。寝てしまうと恐いのです。敵陣にいて見張っている心理です。不登校の子どもが家のことが心配で家をでられないのと同じ心理です。
無意識にある恐怖と孤独は夢の中に現れることはあってもその人の意識にはなかなか現れません。
しかし眠れないし、恐い夢を何時も見るという時には自分の無意識の領域にはいろいろな感情が渦巻いていると考えた方が正しいでしょう。
深刻な恐怖と孤独が無意識にある限り、寝ようと思っても眠れません。
自分の目標は今の実力に適しているか「そんなこと、どうでもいいことだ」「そんなこと、何でもないことだ」と意識の上では本当に思っていても、不思議にそれが気になって、眠れないことがあります。
ある心配事があって、無理に「そんなこと、どうでもいいことだ」と思っているのではありません。
そんな時には実はその「どうでも良い」と思っていることが問題なのではなく、もっと背後に
本質的なパーソナリティーの原因があることがあります。
もっと背後に広範な欲求不満があります。つまり、例えば自己実現出来ていないという欲求不満が原因です。
今の自分の生活が原因で眠れない
つまりその時の生活全体が、その人に適合していないのです。
例えば商売に向いていない人が一生懸命に商売をしています。新聞記者に向いていない人が頑張って新聞記者をしています。学者に向いていない人が真面目に学問をしています。
「個々のこと」というよりも、生活全体が間違っているのです。
「そんなこと、黙っていても明日になればすぐに出来る」と分かっていながらも、そのことが気になって眠れません。
従ってこの眠れないことは「自分の今の生き方」が間違っているということを教えているのかもしれません。だから眠れないのです。
「昨日あの人への対応が間違った」という類のことではありません。もっと根本的な生き方の間違いです。
眠れない夜に「今の自分の目標、それは今の自分の実力に本当に適しているか?」ということを考えてみます。
それが適していなければ、心の葛藤に苦しめられて、努力しても悩みだけが多くなって、本来の自分の実力すら発揮できません。
もし努力しても悩みだけが多くなっているなら、「なぜ自分は今の目標に向かって努力しているのでしょうか?」と考えることです。
そうしたら「これはもともと自分自身が望んだことではない」ということに気がつくかもしれません。
不眠が人生を教えてくれる
努力すれば、何でもよいというものではありません。神経症的努力という言葉もあります。努力すれば努力するほど不幸になります。
霞ヶ関のエリート官僚やエリートビジネスマンが自殺することがあります。彼らは真面目に努力した人々です。しかし最後は悲劇を迎えた。
眠れぬ夜が「あなたはこの道を歩むべきではない」と知らせているかもしれません。
つまりその眠れないということを「自分に人生の行く道を教えてくれている」という様に積極的に捉えた方が良い。
つまり満たされていない本質的な欲求が無意識の領域で活発化しているということです。
眠れない人は、まだ完全な感情鈍麻にはならないで、無意識からその人に不満を伝えてきているのです。
何か辛いときに、「自分は本当にこのことが辛いのでしょうか?」と考えてみましょう。